スリーナの歴史

その後、トルコ、オーストリア、トルコの支配下に置かれ、1877年の独立戦争の結果、1878年にドブロギアとともに我が国に返還された。

文献は、スリーナがソリーナと呼ばれていたビザンチン時代から存在していたことを証明しており、最初の証言は950年にコンスタンティン・ポルフィロジェネットによって書かれた “De Administrando Imperio “にある。その後、ピエトロ・ヴィスコンティによる1327年の中世の地図にもスリーナが確認されている。

漁村であったスリーナが都市となったのは、ドナウ河ヨーロッパ委員会が設立された1856年のことである。1860年と1870年、それぞれドナウ河ヨーロッパ委員会の宮殿とスリーナ灯台という街の2つの重要なモニュメントが建てられた。

ドナウ河ヨーロッパ委員会灯台博物館が提供した情報によると、スリーナ市は第二次世界大戦中、ソ連の爆撃によって80%が破壊された。